15周年特別企画3

80年代の狩野川花火大会を振り返る

  • いつ変更されたのか、記録も記憶もありませんが、昔は『狩野川花火競技大会』という名称で開催され
    ていました。競技用のプログラムが有った記憶は無く、何をどの様に審査していたかも分かりませんが、
    何日後かの『沼津朝日』という新聞に、小さく順位が出ていたので、競技と して成立していた様です。
  • 80年代始め迄の参加業者さんは『臼井煙火工場』『窪田煙火工場』『静玉屋・田畑煙火』(旧名称)の
    3社でした。ここに『三島煙火』が新たに参入し4社体制となり、その数年後に『三島煙火』に変わり
    『池文火工』が参入しました。近年関係者の方々から断片的に話を聞き、自分の推測でまとめると・・
    三島煙火さん(揚専だった様です)が営業終了ということになり、付き合いがあった池文さんに事業譲渡
    の様な経緯で、支店化されたものだと考えられます。この『池文火工』さんが、斬新でな派手な花火で
    狩野川花火大会が、がらりと変わった記憶は今でも鮮明に思い出されます。文字中心だった『枠仕掛』
    に噴出しを付け たり、その噴出しをクロスさせたり、ナイヤガラの滝の速火線に『爆雷』を吊るしたり
    (火付きがわるく1回で廃盤)。打揚げでは狩野川初の『時計草』や『八方咲き』等の花を咲かせ、私が今
    でも好んで止まないザラ星の中に雷粒を混ぜた、『パリパリ音入りザラ星』も変り種。スターマインも
    ハイテンポで、花火の盆も大きく色彩豊かで正に独断場。これにより、正横綱『臼井』さんに新横綱
    『池文』さんの二大勢力となり、それに追従して花火の音でドンパン節を奏でたり、1984ハレー彗星や、
    拘りのトラの尾など、創作の『窪田』さん、当時は元気で、スターマインでブンブン飛び物をすっ飛ば
    す『静玉屋』さん。どこが『落ちる』のではなく、どこがより上の花火を『魅せる』という、四社四様
    の世界が見られる、元気一杯のワクワクする花火大会でした。そして何より・・沼津夜曲をBGMに最後
    に着火されるナイヤガラ大瀑布は、今も欠かす事の出来ない名シーンなのであります

消えた企画(記憶の範囲編)


  • 水上仕掛け  川にせり出した発射台に『枠仕掛』を設置し、川面への映り込みを重視した仕掛け。
           狙いと効果と価格のバランスがイマイチだったのでしょうか・・短命に終る。
    沼津の四季  主に打揚げ花火で沼津の四季を表現した。絵巻風の枠仕掛けや、乱玉を四季の色に合わ
           せたり、色々な工夫もみられたが、最後は単調に1本のスターマインとなって消滅た。
    大仕掛け   縦55m横25mと全国的にも類を見ない大きさの枠仕掛で、当時1台150万円必要だった
           そうです。初期は『沼津城』と四季を2日間4台で描き、以後『岳陽楼』と『沼津城』
           を南北で1日ずつとなる。価格的な問題により消滅と推測。50回大会で記念に復活する
           ものの、以降は全く出番が無く残念。
    スターマイン競技 作品が限定されての競技復活も、最大3寸と予算枠なのでしょうか・・競技という
             目で見ると微妙な内容多々。勝負の行方も知る手段が無く、早々に企画終了。
             この枠は、『特別創作スターマイン』として現在も存続しています。
    4寸創作早打 1番の理由は『保安上の問題』と聞いていますが、4寸玉は無くなってしまいました。
           また『手打ち』による早打ちも、2002年頃には自動点火に変更しており、見る(?)
           楽しみは2つ減となってしまいました。
    枠仕掛け  完全消滅ではありませんが、プログラム単体での『枠仕掛』は2006年度を持って消滅。
          近年では、殆どがスポンサー名の文字のみであり、確かに面白く無かったのですが。

80年代の花火を写真振り返る

1984年撮影(花火大会前日) 1985年撮影(設置風景) 1986年撮影(スターマインセット作業)
A発射台と早打ち発射台
A発射台には水上仕掛け枠の設置あり
A発射台のスターマイン筒設置(窪田さん)
水上仕掛けの最終年度となった。
B発射台のスタンバイ写真(臼井さん)
重ね玉の形状が懐かしい
1984年 開幕仕掛『乱玉連射』 1985年 水上仕掛 1985年 創作仕掛(ボールが動きCUP-IN)
1987年 沼津の四季より(たぶん) 1988年 大仕掛け『幻の沼津城』 1989年 大仕掛け『岳陽楼』

 

 

 

 

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